お菓子の一番星

boredoms2011-05-05

チップスターって美味しいよねぇ。




獣王伝 雷血
第五話『ドッグファイト』 


 最近は、仁成のジイさんもすっかり丸くなったものだ。
 三日前なんて、ルイチが携帯電話を欲しいと言えば、その次の日にはルイチは最新型のスマートフォンを手にしていた。ルイチがその時浮かべたしたり顔は、今思い出すだけでも憎たらしい。なにせ俺は、未だに携帯電話を持っていないのだから余計に憎いわけだ。
 今はそんなジイさんでも、昔は本当に厳しい人だった。
 母さんから聞いた話しでは、俺が蒼天流の稽古を始めたのはまだ二歳の頃からだったという。
 そしてその蒼天流の稽古をつける時のジイさんは、まだ小さかった俺にとっては非常に恐ろしい存在として写った。
 恥も外聞も無く言ってしまうと、当時の俺は、言わば泣き虫というやつだ。
 俺は稽古が嫌で、何度も逃げ出した。そして何度もジイさんに捕まって、罰として尻を叩かれる。ただ叩くと言っても、一般的な平手でやるものではなく、握りしめた拳で尻を叩くのだから堪ったものではない。ジイさんいわく、この拳は愛を握りしめた拳なのだと言っていたが、叩かれるこちらとしては何を握っていようとも、尻が痛いことには何ら変わりのない事である。
 さすがに中学生になる頃には泣く事もなくなったけれど、そうなるまでは泣いてばかりいた。
 それでも稽古を続けられたのは、吾妻 結(あずま ゆい)の存在が大きかったのだろう。俺のバアさんだった人だ。
 稽古の後、道場の隅っこで泣いている俺の肩を抱き、励ましてくれたのは決まってバアさんだった。
 そんな時、バアさんが俺に言う言葉はいつも同じで、『泣くな、少年!』そう言って、いつも手作りのパンケーキを持って来てくれたのものだ。ただそのパンケーキの味は笑ってしまうほどに不味かったのだけれど、それでも俺はそんなバアさんが大好きだった。
 ジイさんの厳しさと、バアさんの優しさのお陰で、蒼天流師範代としての今の俺があるわけなのだが。
 今、現在。
 実に、情けない事になっている。
 犬束千晶が放った右ストレートは俺の眉間へと見事に到達を果たし、烈火の如き勢いのまま俺を後方へと殴り飛ばしたのだった。
 ジイさんから叩き込まれた蒼天流の術を持ち、尚且つ白虎の力まで宿しているこの俺が、身動き一つもできないままに相手の攻撃をまともに食らってしまったのだから、やはり実に情けない。
 俺がなんとか姿勢を立て直して構えを取るその間に、もうすでに犬束は俺の右側面へと回り込んでいる。
 速い。そして、それは非常にまずい。
 眉間から噴き出した血が、運の悪い事に右目に入ってしまっている。
 血によって閉ざされた右の死角へと回り込んだ犬束は、それを察した行動だろう。
 俺は堪らず後方へと跳ねる。
 が、死角から放たれた何かしらの攻撃がそれを中止させた。
 再び眉間へと爆発的な強打を受けた俺は、惨めなほどに吹っ飛ばされる。
 辛うじて受身を取り、次の攻撃へと備える為に姿勢を整えるも、犬束は先ほどの位置から動いていなかった。
 今すぐにでも保健室、ないしは病院へと駆け込みたい気持ちで一杯ではあるが、その感情をぐっと堪えて、残された左目で犬束を睨め付ける事に落ち着いた。
「そう睨むなよ、怒ると漫画みたいにもっと血が吹き出るっすよ、けっへへへ」
 犬束から出たその声色も口調も、先ほど苦しんでいた時の犬束のものとはまるで違うものだった。声変わりをする頃のまだあどけなさが残る少年の様な声に変わっている。
 俺から視線を外した犬束は、少しばかり周りを見回して、途端に冷笑を漏らした。
「けっへへ! いやぁ、相変わらずっすねぇ。あんたら三馬鹿は」
「その声は……」
 苦々しくそう言ったのは、未だに土下座をしていた鯨波だった。
「いやぁお久しぶりっす、弱虫な鯨波君、略して弱波君」
 軽く憎まれ口を叩いた犬束は、再び俺へと視線を移してにやりと笑ったような顔をする。覗く犬歯の煌きが、実に不愉快だ。
「おいらの名前は乾 幻十郎(いぬい げんじゅうろう)、干支者十一番目、戌の刻の担当者っす」
「知っていると思うけど、俺は白虎の吾妻一豊だ。それにしても、昨日は急に告白してきて、かと思えば今日は急に殴ってきて、ずいぶんと忙しい奴だな」
「昨日君に告白をしたのは、もちろんおいらがしたわけじゃないっす。そんな趣味は一切ないっすから、ご心配なく。昨日はちゃんと犬束千晶で、今はおいらだ。犬束千晶のやり方じゃ、あんたを殺すのに何年かかるかわからないっすから、おいらが直々に出てきたんっすよ」
「これはまずいですよ部長さん。一目散に逃げましょう」
 俺に諭すようにそう言った鯨波は、もうさすがに土下座をやめて立ち上がっていた。
「逃げれるもんなら逃げてもいいんっすよ。でもおいらの技、『幻法・かませ犬』は絶賛発動中っすから、そう簡単には逃がさないっすよ」