あの背中に、笑われねぇ男になる

boredoms2007-09-11

九月がもう十一日というこのあまりに早い月日に、ビビリしながらも日々過ごしているわけですが。
そんな早すぎる九月の中、ある二つの事で、僕は泣きました。
まず、クレヨンしんちゃんの映画、オトナ帝国の逆襲に泣きました。
文章能力が皆無なので色々書けませんが、僕なりに一番グッときたのは「あの背中」です。
映画見た人しかわからない勝手な日記内容ですが、もぉとりあえず「あの背中」です。
ちなみにいらん情報ですが、僕は背中ネタに涙腺ガバガバです。
野原しんのすけと野原ひろしと、野原ひろしの父親の三代がかりで泣かされた。
野原ひろしが幼い頃に、父親のこぐ自転車の後ろに乗って河川敷を走っている、幼いひろしに見えるのは田舎の風景と父親の背中、そんなシーンがあるのですが、早くも、涙が僕の目を速やかにコーティング(この表現うざい)。
それから、野原ひろしが今現在にいたるまでの映像が流れる。
ある日彼女ができて、そして別れて、一人で田舎を出て、会社に入って、営業マンになって、みさえと出逢って、しんのすけが生まれて、それからマイホームを買って、だから働いて、電車で立ちながら寝てしまうぐらい働いて、疲れて帰る、だけどそこには、いつもの家族がいる。
休日、しんのすけ達を自転車の後ろに乗せて河川敷を走っていく、しんのすけ達が見るのは、いつもの街とひろしの背中。
泣く僕。
そして、想像する。
ひろしが幼い時に、二人乗り自転車の後ろから見ていた父親の「この背中」は、今では「あの背中」になって。
ひろしのその背中を、今のしんのすけは「この背中」で見ていて。
いつの日か、「あの背中」になる時がやってくる。
しんのすけも彼女ができて、別れて、会社に入って、結婚して、子供ができて、色々なことがあって…と、勝手にものすごい想像していたら涙腺が鬼ノ仁先生状態でした。
違う場面で、イエスタディワンスモアという敵?は、そんなくたびれた二十一世紀をごく一般的に生きるひろしに「つまらない人生だな」と言う。
ひろしは言う、「俺の人生はつまらなくなんかない、家族がいるしあわせをお前たちに分けてやりたいぐらいさ」。
泣いた。
素敵な映画だった。
泣き終わって、風呂に入った。
そして僕は、また泣くことになる。
風呂からあがって、体を拭いていたら気が付いたことがある。
その現実に涙は出なかった、でも何かを失った気がしたから、心の中で泣いた。
体を拭いていたら、気が付いたことがある。
左乳房に、乳毛が生えていた。
泣いた。
そして今後も、泣き止むことはない。
そんな僕の背中は、猫背です。